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管理人プロフィール

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基本情報

名前:Miki

年齢:30代

性格:繊細気質、マイペース

趣味:ちょっと良いレストランに行く、1000ピーズパズル、キャンドル

仕事:食品メーカー開発

Miki
Miki
はじめまして!
当サイト管理人のMikiと申します。

2022年夏に娘を出産し、現在育休中、来年ワーママデビュー予定です。

いや育児しよ?と思われるかもしれませんが(笑)、

今の私は自分の将来に不安しかありません。

どうしても今の状態から脱却したい理由があるのです。

「何かやらなきゃ、どうにかしなきゃ。」

そう思うだけで具体的な行動をできずにいた私が、

なぜこのタイミングで私がWebマーケティングを学ぼうとしているのか、

その経緯をプロフィールと一緒に紹介できればと思います。

1.幼少期〜小学校時代:できることが自信につながる実体験を得る

共働きで働いていた両親

私は公務員として働いていた父と母の間に長女として産まれました。
堅実・真面目という言葉がぴったりな両親と、少し破天荒な弟。
何不自由なく育ててもらいました。

ごく一般的な家庭でしたが、
他の家庭と違ったのは両親が共働きだったことでした。
今では普通のことですが、30年前では珍しいことだったと思います。
父も母も朝から夕方まで働いていたから、保育園のお迎えに来るのは、
祖父だったことも多かった記憶があります。

当時は少し寂しい気持ちもありましたが、
その後私と弟にかかった教育費や、経験させてもらったことを思うと、
あの時代に共働きという選択をしてくれた両親には感謝しかありません。

そして、母親が働いていたことの影響は大きく、
のちに「私も子供を産んでも働くんだ」という価値観に繋がっていきます。

初めて獲得した成功体験

そんな私の性格はというと、ただただ控えめ。

人の後について行って事が済むならそれが一番いい、私はやりたくない
そんな思考回路で、主体性のかけらもない子でした。

しかし、この性格はとあるきっかけで一変します
それは、小学校で母が通わせてくれた公文式でした。

私は学校の成績は決して良くありませんでした。
マイペースにこなすプリントやテストは、いつもクラスで一番最後に提出。
じっくりやるからといって点数が高いわけでもなく(笑)

集中力もなくて授業はいつも「あれ?今何やってる?」状態。
あのまま何もせず過ごしていたらと思うとゾッとします。

公文式は、塾とは違って授業や個別指導があるわけではなく、
とにかく自分でやらなければ終わらない独特な学習スタイルでした。
それまで受動的にしか物事に取り組めなかった私には、
勉強面でも精神面でも効果てきめんでした

公文式を始めて1年後、学校での成績はトップクラスに。
自分で獲得した「未知なものができるようになる」という経験は、私に自信を与えてくれ、結果、性格もかなり明るく、積極的になったのです。

感覚的ではあったものの、
できることがあると自信になる」ことが得られた実体験でした。

2.中学〜高校 頑張れない自分に幻滅した受験

自分の力を過信しすぎてパンク!

中学校は、中高一貫の私立学校へ、中学受験をして入学しました。

田舎の小学校へ通っていた私は、周りの雰囲気が一変し、
とてもワクワクしたことを覚えています。
部活動で音楽にも打ち込み、勉強も嫌いではなかった私は、
優等生で中学を卒業し、そのまま高校へ進学しました。

ここまでは完璧に、自分は効率が良くて頭のいい人間だと思い込んでいました(笑)。
しかし、高校に進学してからこの自惚れが自分の首を絞めることになります。

当時私は大変な環境に身を置くほどかっこいいと思っていました。
忙しいはずなのに、余裕があって成績も良い、そんな人に憧れていました。
そしてなぜか、自分にはそれができるはずと、思っていました(笑)

勉強科目の多い理系国公立大学の受験、部長を務めていた部活、
ずっと継続していた公文式、超苦手科目の物理の履修等々。

自分の体と頭がついていってないことに薄々気づきながらも、
自分にはできるはずと根拠のない自信だけが先行し、
当時の私には手に負えないほどのマルチタスクを自分に課していました。

当然の結果として、パンク。

ある日、それまで優等生だった自分がいつの間にか
テストの追試を受けるほど落ちぶれていることに気づきました

頑張れない自分のまま大学受験へ

そして、ここからなんとか踏ん張る…ことができたら良かったのですが(笑)

山積みになってしまった課題を前に、
「私ならできるはず」という理想と「また今日も進まなかった」という現実の差に
耐えられず、すっかりやる気をなくしてしまいました。

そのまま巻き返すことができないまま、大学受験を迎え、
散々な結果に終わりました。

「今まで頑張ってきたのに、
まさか一番の勝負どころで頑張れないなんて…」

なんとか滑り止めの大学に合格はしていましたが、
恥ずかしくて、進学先は友達にも言えませんでした。

そして、高校を卒業するとき、担任の先生からこんな言葉をもらいました。
受験で頑張れた自信がある人は、これからの人生、試練がきても乗り越えていける。
頑張れた自信がない人は、必ずどこかで踏ん張らないといけない瞬間がくる。

この時「ふ〜ん、そっか」くらいに思っていた私ですが、
4年後にこの言葉を痛いほど思い出す経験をします。

ちなみに、この受験で頑張れなかった経験はトラウマとなり、
今でもたまに夢に見ます(笑)

3.大学〜大学院

人生の主軸になる価値観が芽生えた学祭運営

大学生活ははっきり言って全く楽しくありませんでした。
西東京の田舎、別にそこまで行きたくもなかった大学、いまいち惹かれない講義、、、
憧れのキャンパスライフとは程遠い現実でした(笑)

あまりに充実しない毎日に辟易した私は、学祭の実行委員会に参加することにします
地域密着型の、小規模な理系キャンパスでの学祭でしたが、
仲間と企画立案から実際にそれを形にしていく過程で、
「どんな小さなことでも裏でそれを支えている人達がいる」
という当たり前のことに気付けたのは大きな収穫でした。

そして、この学祭運営のために駆け回る日々が、
抱きしめたくなるほど充実していて楽しかったことで、
何かを作り上げるのが好き」という人生の主軸となる価値観が私の中に芽生えます。

ちなみにこの運営メンバーとして出会った彼と、7年付き合った後に結婚するので、
この場で旦那も確保したことになります(笑)

そして何より、「頑張ることは楽しいんだ」という感覚を、
ようやく取り戻すことができたのです。
この経験は、私の新たな挑戦への背中を押してくれました

リベンジマッチ!大学院受験

大学3年へ進学して就職活動を意識し始めた頃、
私は人生のひとつのターニングポイントを迎えます。

きっかけはなんとなく履修した食品の講義でした。
この講義の内容と担当教授の考え方が、私の好みに大ヒットしたのです。
それまで進路なんてまともに考えたこともありませんでしたが、
私も教授の元でこの研究がやりたい、これをやらないうちは人生終われない!
とまで思いました。

しかしここで越えなければならない大きなハードルがありました。
その講義は他大学の教授が担当されていて、
その研究をするには大学を変えなければならなかったのです。

大学院受験をして、進学するしかない

そう思いましたが、
その教授が在籍しているのは、今の大学よりはるかにレベルが高い難関大学。
受験は筆記試験の点数のみで合否判断される完全な実力主義方式。

自分にやれるだろうか。努力しても受からない可能性だって十分ある…。

一瞬怯みましたが、私にはもうひとつ、どうしても挑戦してみたい理由がありました。
その教授が在籍する大学は、ずっと憧れていた、
私が高校生の時に第一志望にしていた大学だったのです。

もう一度、挑戦できる。完璧なリベンジマッチだ。

その事実にテンションが上がった私は、そのまま勢いで大学院の受験を決めました(笑)

そこからは、猛烈な勉強の日々でした。
通っていた大学はほとんどの人が卒業後就職という選択をしていたので、
周りが就活をするなか黙々と勉強をする日々。

孤独感もあり、これで大学院に落ちたら就活もしていない私はどうすればいいのだろう
という不安もあり、精神的にもかなり辛い時期でした。

そして勉強をする体力が中学生レベルで止まっていた私は、
膨大な量の試験範囲に毎日疲弊しきっていました。
高校卒業の時に担任の先生にもらった言葉が何度も頭にちらつき、
今、ここが踏ん張り時なんだ」と自分を鼓舞していました。

今まで自分がしてきた努力は、努力でもなんでもなかった。
これが本当の努力なんだ

そう思えるまで勉強した結果、
念願の大学院合格を勝ち取ることができました。

4.大学院〜就職

新しい世界に飛び込んだ経験

憧れて憧れて進学した大学院での生活は、実はとてもしんどかったです(笑)

周りにいる人たちのレベルが一気に上がり、
外の世界にはこんなに頭の良い人がたくさんいたんだと驚いたことを覚えています。
それまで努力すれば上位の成績が取れていたのに、初めて、努力しても全く追いつけないという経験をしました。
それは辛い現実だったけれど、新鮮で新しい世界でもありました

勉強はてんで追いつけませんでしたが、
あんなにやりたかったことなのだから、憧れていた場所なのだから
そう自分に言い聞かせながら必死に研究に打ち込みました。
土日祝日関係なく大学に通い、実験漬けの日々を過ごしました。

そしてなんとか修了にはこぎつけましたが、
結局良い成績を納めることはできませんでした
そして、自分が研究に向いていない、ということもはっきり自覚しました(笑)

ただ、自分がやりたかったことを貫いた結果だったので、
大学院へ進学したことは全く後悔しませんでした。

修了後は食品への捨てきれない想いもあり、食品メーカーへの就職を選びました。
ものづくりができる、業界を裏で支えるBto Bに強い会社、
そして何より、出産して子供を産んでも、働き続けられる会社を軸に選んだつもりでした。

母が働きながら自分を育ててくれたことが誇らしかった私は、
自分も母親になってもバリバリ働くんだと、そう思っていました。

5.社会人生活

やりたかった仕事に就いたはずだけど…

やりたかった食品メーカーの開発職にも就け、
それなりに社会人生活は充実していました。

しかし、あまりに開発頼りな他部署の仕事の仕方、
そして、いくら効率を追求しても限界がある開発という仕事に
疲れてしまったな」と感じるまで、時間はさほどかかりませんでした。
営業や工場から理不尽な要求をされることが多かったことも追い討ちをかけました。

このままこの仕事を続けていけるのだろうか?
子供を産んだら、もっと効率的に仕事をしないといけないけど、できる気がしない…

そう感じた私は、副業にチャレンジをします。
そのうちドンと稼いで独立できたらいいな、
というよこしまな気持ちで副業スクールにも通いました(笑)
その時は添加物に関する講座を作ってみたりもしましたが、あっけなく頓挫。
集客に苦労して、あっという間にお蔵入りになりました。

このままの仕事を続けるのも不安だけど、副業やる余裕もない
会社員続けるのは楽だけど、今の会社は好きじゃない
やっぱり何か始めるか、転職しないと望む未来は手に入らないよな
ただもう私は30歳目前。今から転職したら子供産めるのいつになる?

当時の私はこんなことばかり考えていました。

増えていく仕事への違和感

そして訪れたコロナ禍の中で、
私は今の仕事に対する違和感をまたひとつ増やすことになります。

在宅勤務解禁を機に、好きな時に好きな場所で働けない不便さを痛感し始めたのです。
開発職は出社しないと仕事にならず、事務仕事を意図的に詰め込んで、
週1で在宅勤務日を確保する、それがやっとでした

6.育休中に気づいた不安

育休突入と同時に一気に不透明になった未来

仕事への違和感が募る日々の中、妊娠が発覚。
仕事に対して不満だらけだった私は、意気揚々と産休・育休へ突入します(笑)

いざ育児が始まってみると、寝不足と慣れない赤ちゃんとの日々にやっとの毎日でした。
育児には思った以上にお金がかかることも実感しました。
子供を産む前には全く目に入らなかった情報も
たくさん入ってくるようになりました。

復職しても、時短での復帰になり、たいしたお給料にならない。
仕事にかけられる時間が少ないから、成果報酬のボーナスも昇給も期待できない。

そこで、ふと気づいたのです。

このまま育児を抱えて、会社に復帰したら、
もう収入を増やす余裕なんてないのではないだろうか

この育休が終わってしまったら、もう子供の手が離れるまで、
何年も今の仕事を少ないお給料で続けるしかないのではないだろうか

そして私が出した結論は、
育休中になんとか収入の柱を増やす方法を模索しよう
ということでした。

運命的なタイミングでの出会い

そんな時、たまたま見ていたYouTube動画がきっかけで入ったオンラインスクールで、
1年で多角的にWEBマーケティングを身につけられるスクールの募集があったのです。

もう私には、これしかないかもしれない。」

私はそこに飛び込むことを決めました。

7.これから

私にとって、自分で稼ぐ力を身につけることは、頭では必要だとわかっていても、
なかなか行動に移せない、ハードルが高いものでした

そこに育休中に感じた不安が上乗せされ、
「なんとかしなければ」という思いがより一層強くなりました。

そこで私は、職場に復帰するまでの残りの育休期間1年で
WEBマーケティングを学び、自分で稼ぐ力を身につけることを決意しました

Miki
Miki
なぜWEBマーケティングを選んだのかは、こちらの記事で語っています!

https://mi-webmark.com/2023/06/29/the-reason-i-started-web-marketing/

私は、このブログを通して、
WEBマーケティングの学びの全てをアウトプットしていきます。
私と同じようなことで悩み、壁にぶつかっているあなたの
背中を押せることを願っています。

子育てしながらでも、自分の力で稼いで収入を諦めない自分になる

そんな未来をあなたに届けたいと思います。

具体的には、
1年後、副業として月収10万円
2年後に独立して、月収30万円稼ぐ
ことをゴールとしています。

私が今後2年で、本当にこのゴールに到達しているのか?

どうか一緒に歩んでいただけると嬉しいです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

また次の記事でお会いしましょう!